遮蔽想起、隠蔽記憶、"Screen Memory"
「遮蔽幕の記憶」が出てきたので発作的に2冊、買っている。どちらも『[フロイト入門』というタイトルだったりする。中山元と妙木浩之。 「遮蔽幕の記憶」については、それぞれに「遮蔽想起」「隠蔽記憶」という名前で記載がある。でもなにを言っているのかわからない。 この二つの線の関係として三つの状態が考えられる。第一は抑圧する意識の力が大きくて、トラウマTがまったく覆い隠されている状態である。図の(S)は隠された症状を示している。第二はトラウマは大きいものの、それを抑圧する意識の力がそれほど大きくなく、トラウマTが症状Sとして現れている状態である。第三はトラウマが非常に大きく、抑圧する意識の力が小さいために、トラウマTがそのまま現れる状態である。
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だからフロイトは二元論に固執したのだ。外的な刺激に由来する意識の場、そして内的な身体刺激に由来する無意識の場の間に、心身の関連性はある。
「意識」と「無意識」。フロイトの重要な思想には「二元論」があるらしい
この図、下側の「無意識」のラインが、ピエール・バイヤールがいうところの〈内なる図書館〉(〈内なる書物〉)の領域で、上側の「意識」のラインが〈共有図書館〉(〈遮蔽幕の書物〉)の領域ということだろうか。 だとすると、自分からは(他者からは)、他者の(自分の)〈内なる書物〉がそのまま見えることはほぼない。さらには、たとえ自分自身であっても、自分の〈内なる図書館〉を意識的に自覚することはできない、ってことになる。自分でも触れることができない。
ジャック・ラカン
フランスにおいて、ジャック・ラカンは「フロイトに還れ」(仏:Le retour à Freud)というスローガンを掲げ、フロイトを構造主義的に読み直す作業を進め、フロイトにおける用語や概念、言語感覚の特徴などを解き明かしていった。 遮蔽想起
遮蔽想起の概念は、その記憶の価値がそれ自体の内容にあるのではなく、その内容と別の抑え込まれた内容との関係にあるような想起というものである。
記憶の価値が、その内容と、別の抑え込まれた内容との関係にある想起
遮蔽するものと遮蔽されるものとのあいだの時間的関係の方向性によって、遮蔽想起を逆行性あるいは先行性と命名することができる。別の観点からは、陽性と陰性とに区別することができ、陰性遮蔽想起の内容は、抑え込まれた内容とは対立する関係にある。
遮蔽するものと遮蔽されるもの